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大人の「人見知り」は克服する必要など全くない 無理に克服してもストレスを貯めるだけ

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「人見知り」というのは元々幼児など幼い子供に対して使われるのが一般的でありました。

 

ところが現代においては、成人した人に対しても、堂々と「あの人は人見知りだから」という言葉が使われ、一般用語となっています。

 

ややもすれば人見知りというのはネガティブな文脈で使われる。

 

「お前って人見知りだなぁ」などと侮蔑的意味合いを含めて発言される場合も多い。

 

しかし、「人見知り」というのは至極真っ当なる動物的反応でありまして、何も無理に克服する必要などないのです。

 

この人見知りによって、例えば人生の喜びや楽しみを享受しきれないことがあるかないかと問われれば、

 

それはやはり人によるとしか言いようがありませんが、一つ確かなのは、無理にこれを克服しようとして、

 

交友関係を広めたり、急に人が変わったように他人と交流するようになっても、火傷する可能性が高いということです。

 

この記事では、なぜ人見知りを克服する必要などないか、ということについて詳しく見ていきたいと思います。



人見知りはなぜ問題ではないか

人見知り、というのはそもそもどういうものかというと、同質的な人に対しては極めて普通に接することができる一方で、

 

自分が同質的でないとみなした相手については、極端なほどよそよそしい態度をとったり、距離を置いて接してしまうことを指します。

 

これは動物としては非常に真っ当な反応でありまして、

 

極端に言えばウサギがウサギを見て仲間意識を持つ一方で、ライオンを見ると警戒心を最大レベルに引き上げる、

 

などという自然界における常識的反応と根本は全く同じものなのです。

 

まさに人見知りは何ら異常なる行動特性ではないのです。

 

もちろん、良く考えて見ますと、同じ人間同士、しかもこの洗練された高度文明の発達した日本において、

 

異質な人間が仮にいたにせよ、いきなりとって食われるようなことはありません。

 

しかしながら、アドラー先生が世の中の悩み、ストレスの99%は、人間関係によるストレスであると言ったように、

 

他人にハシゴを外されたり、裏切られたり、陰口を言われたり、いじめられたりと、対人関係における問題というのは、世の中に蔓延っている。

 

とって食われはしなくても、下手に変な奴らと付き合ってしまうと、やはりストレスフルな毎日をすごく羽目になる可能性がかえって高くなる、というのはいうまでもありません。

 

かの天才政治家、田中角栄の愛娘で、同じく政治家の田中真紀子氏には以下のような名言がある。

 

「人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」

これはやや極端な人間関係の切り取り方であるとは言え、食うか食われるか、一寸先は闇の永田町においては、

 

これくらいの認識で割り切った人間関係観を持っていて損をすることはないのでありましょう。

 

ヒューマニストっぽく、「人間皆兄弟。友愛の精神で持って生きていけば、争い事はなくなるのです。」などと言って馬鹿みたいにのほほんと生きていれば、

 

いつ騙されて借金を背負わされたり、他者を利するために利用されるかわかりません。

 

たとえとしては極端かもしれませんが、あなたが人見知りを克服しようとして、「よし、恥ずかしがらずに、積極的に自分と異質な人にも話しかけよう」と、

 

田中真紀子に近づいても、そりゃ最初はそれなりにあなたの決意ある接触に応えてくれるかもしれません。

 

しかし内心では、「こいつは敵、または使用人である」としか見ていないわけですから(いきなり家族として扱われるわけないですし。)、

 

いつかどこかの段階で利用されたり、せっかく打ち明けたあなたの秘密を、最悪の形で暴露されたりする可能性があるのです。

 

そして世の中には、そういう危険がたくさんあるのです。

 

そう言った危険からできるだけ逃れるように、我々には動物的直感というものが授けられている。

 

「理屈はよくわからないけれど、この人は俺より活発的で交友関係が広そうで、外向的でアウトドア派のようだから、あまり友達にはなれそうにない。」

 

こういう決めつけは、ひょっとするとただの臆病と言われるかもしれませんが、

 

この直感には正直に生きた方が良いのです。

 

もちろん全ての場合で、裏切られたりすることはないでしょうが、あなたにとってリスクであることは間違いありません。

 

そしてもう一つ重要なことは、逆にあなたが同質的であると思う他人で、かつ実際にお互いが仲が良いとみなしている場合には、

 

相手方も同様のことを感じている場合が多いということです。

 

田中真紀子のように、極端に敵、家族、使用人のいずれかのカテゴリにしか他人は分類されないと考えている人は稀で、

 

普通の感覚だと、敵、家族、味方、その他有象無象(どうでもいい人)、というカテゴリ分類ではないかと思われます。

 

そして味方に対しては、通常はアダムスミスの道徳感情論的に、共感をし、手を差し伸べたり、協力関係が生まれやすい。

 

もちろん、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、ということはあるでしょう。

 

しかし自分が直感的に、同質的だと思っている人に対してまで、「いつかこいつは裏切るのではないか」などと猜疑心満載で生きるのはどうかしています。

 

そういう人は境界性人格障害などいわゆるパーソナリティ障害の可能性が高く、カウンセリングなどの治療を受けた方がよろしい。

 

そうでなければ、人見知りは全く問題がないし、それによって損をすることも基本的にはないのです。

 

どうしても克服したいのであれば、それはあなたの自由です。

 

しかし、繰り返しになりますが、この世のストレスのほとんどは人間関係によるものである、ということを今一度理解していただく必要があるかと思います。



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