偉くなりたい出世したいなら嫌われることを恐れるな 寧ろ嫌われてこそ出世する

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人生の悩み

ひと昔アドラー心理学をモチーフにした「嫌われる勇気」という本が流行りました。

2017年8月現在は、再流行の兆しがあると言われるなど、根強い人気を誇っています。

 

あの本の意図するところは、過去の経験などを言い訳にして、自分らしく生きることができない人が多いが、そこから一歩踏み出して、

 

仮に嫌われたとしても自分らしく生きようと勇気を出すことが、幸福な人生追及において重要である、と述べたわけですが、

 

「出世」という文脈では述べられてはいませんでした。

 

しかし、今の、特に日本の世の中においても、寧ろ周囲から結果的に嫌われるような行動を取った方が、出世や上司からの評判という点において有利である、というのがコアトルの考えであります。

 

しかしこの「嫌われるような行動」というのはそれ自体リスクでして、一歩間違えれば、ただ単に嫌われて出世もできないで終わってしまう、

 

ということになってしまいます。

 

そこで、程よい程度に嫌われて、かつ出世するためのコツみたいなものを整理しようというのが、本記事の目的であります。



考え方編 嫌われないで生きようと思ってもどうせ誰かには嫌われる

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まず最初に申し上げておきたいのが、嫌われる、ということに対する耐性であります。

 

普通、ほとんどの人は、人に嫌われるのは嫌だと思って生活しています。人に不必要に嫌われないように、他人の顔色を伺い、まさに「空気を読む」ということを特に重視して生きているのが日本人であります。

 

空気を読むことの重要性を否定はしません。しかしながら、太古の昔から語り継がれる以下の教訓を、私はより重要なる真理として重視すべきであると考えます。

 

皆を喜ばせようとすると、かえって誰も喜ばせることができなくなる。

 

これは、イソップ寓話の話の一つで、「卑怯なコウモリ」というタイトルの寓話に基づく教訓です。

昔々、獣の一族と鳥の一族が戦争をしていた。 その様子を見ていたずる賢い一羽のコウモリは、獣の一族が有利になると獣たちの前に姿を現し、「私は全身に毛が生えているから、獣の仲間です。」と言った。鳥の一族が有利になると鳥たちの前に姿を現し、「私は羽があるから、鳥の仲間です。」と言った。
その後、鳥と獣が和解したことで戦争が終わったが、幾度もの寝返りを繰り返し、双方にいい顔をしたコウモリは、鳥からも獣からも嫌われ仲間はずれにされてしまう。
双方から追いやられて居場所のなくなったコウモリは、やがて暗い洞窟の中へ身を潜め、夜だけ飛んでくるようになった。

出典:卑怯なコウモリ

驚くべきは、イソップ寓話が、正式な成立年代はわからないけれども、どうやら古代メソポタミアの時代、つまり今から5000年以上前から口伝によって語り継がれていたと考えられており、それ故に多くの識者の目を通してなお今に生き残った、古典的性質を持つ、ということであります。

 

翻って我々の日々の生活を見ましても、人間関係が広がりを見せれば見せるほど、八方美人に生きることが難しくなるわけですが、常に嫌われたくない、ということを意識していると、無意識のうちに、皆を喜ばせようとしたコウモリと同じようになってしまい、結局嫌われてしまう。

 

つまり日本社会の伝統的風土にしたがって生きようとしても、どこかで矛盾が出てしまい、誰かには嫌われてしまう可能性が高いのですね。

 

なおまた、人に嫌われることを恐れないで、独自性の高いことを実践した結果、あなたが運良く出世したとする。

 

出世すると部下ができるわけですが、こうなると時には部下を叱責する必要も出てくるわけです。

 

この時に、「でも嫌われたくないな。。。」と思って叱責しないでいると、どんどん部署がダメになる。誰かの能力のせいでダメになるのではなくて、あなたが嫌われたくないと思うばっかりに、あなたの自己保身のせいで部署がダメになる、と言うことも十分理解する必要があります。

 

だから、嫌われるということは別に恥ずかしいことでもないし、絶対避けなければならないことではない、ということをまずは念頭において頂ければと思います。

実践編 人と違うことを恐れるな

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さて、考え方の耐性についてお話しした後、今度は実践編に移って参りたいと思います。

 

日本の場合で、嫌われやすくなる一番の原因は、「異質性」を備えているかどうかです。

 

「出る杭は打たれる」という言葉はよく引用されますが、これは能力、成績的に特に秀でた人が叩かれる、というだけでなく、異質な人を同質的(と自分たちが信じる)な集団から排除する傾向にある、という意味合いも含んでいるように思います。

 

異質であるが故に、組織から排除された人間として、パッと思いつくだけでも、

○村上ファンドの村上世彰(在日台湾人2世。歯に絹着せぬ発言も幸いし、経産省時代にアフリカに左遷された)

○小泉純一郎(派閥主義反対など変人と呼ばれる。郵政大臣時代に、高齢者マル優限度額引き上げに反対した結果、郵政官僚から異常な嫌がらせを受けた)

○石原莞爾(大日本帝国陸軍の異端児と呼ばれ、当時陸軍の二大派閥であった統制派及び皇道派どちらにも属さず、豊富な知識と天才的な洞察から日米開戦絶対反対を説いたが、東條首相の命令で予備役に回され表舞台から姿を消した)
、、、、

といったあたりですが、いずれの人物も一角の人物であって、大金持ち、総理大臣、大思想家としての地位を欲しいままにした、乃至はしている大人物たちであります。

 

異質なる考え方というのは、上記のように確かに嫌われて不利益を一時的には被ってしまうという側面はあるのですが、そこで人生終了ということもないんですね。

 

これは既に有名すぎる言葉ではありますが、悠久の真理として燦然と輝く我らが吉田松陰先生の言葉を引用しておきましょう。
(ブログ「おもしろき こともなき世を おもしろく」様のエントリより引用させていただきました。)

立志尚特異
俗流與議難
不思身後業
且偸目前安
百年一瞬耳
君子勿素餐

志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ

出典:おもしろき こともなき世を おもしろく

 

日本ではよく、「周りがこうしているから、自分もそうする」という人が多いです。が、もちろんこれは海外も同じなのです。結局、そうやって自分の行動を判断した方が、効率的に正しいことを実践できる、という経験則からそうやっているからです。

 

しかし、そればかりだと、なんの目新しい発見もないですし、成長もありません。

 

周囲に合わせて行動をする、ということに慣れているのであれば、「あえて人と違うことをする」ということからぜひ初めて欲しいと思います。

 

「敢えて人と違うことをする」ということは、最初はちょっと、受けを狙っているように思われたり、変な目で見られたりして、抵抗があるかもしれません。

 

しかしやってみると、従来はそれが当たり前とされていたはずの方法よりも、人と違うことをした方が、楽だし、有意義だし、お金もかからないし、良い、ということが本当に山のようにあるのです。

 

コアトル自身、昔から、「少し人と違っているところがあるね」と常々言われてきました。

 

これは親の教育の影響かなんなのかよくわかりませんが、とにかくそのように言われることが多かったのです。

 

今振り返って見ますと、人が一般的に考え付くような手段はあまり取ってこなかったように思います。

 

アドバイスなど人の言うことも、聞いたことはほとんどありません。

 

それでもある程度、と言うか人並み以上に評価されてきたと自負しています。

 

人と違うことをすることを恐れないことは、良き人生を歩む上で大変重要です。



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