政治的場面での大風呂敷は自己破壊的予言を導く 野心は虎視眈々として持つべし

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コアトルの心理学探究

世の中にはいろんな人がいますが、各個人の特徴は、その人が固有に持っている遺伝子や経験から現れる、いわゆる性格によって差が生じます。

 

しかし、そういう性格によるものではなく、もっと原始的な、人間であれば誰しもが持っているような特性、例えば極端な例でいうと、

 

眠くなったらあくびが出る、とか食中毒になったらお腹が痛くなるとか、ストレスを長く感じるてしまうとうつ病になってしまう、などという、万代不易の普遍的真理というものがあります。

 

そういう普遍的特性というものの一つに、「人間は純白のように完璧な状態を忌み嫌う」というものがあります。

 

そしてその状態を志す、ということ、即ち「大風呂敷を広げる」とここで申し上げていることですが、それすらも嫌われてしまう。

 

この特質が、「足の引っ張り合い」とか「悪い噂の流布」などという醜い、人間の行動の源泉になっているのだとコアトルは思います。

 

これだけではちょっと抽象的かもしれませんので、人間の純白嫌いについて、もう少し具体的に考えてたいと思います。



完璧嫌い=出る杭は打たれる?

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よく出る杭は打たれる、という言葉が引用されます。特に日本のような湿り気の多い風土においては、それが「傑出した人間に対する理不尽な仕打ち」という文脈で語られます。

 

しかし私がここで申し上げたいのは、大風呂敷なのでありますから、既に傑出した人間に対してではなく、これからさらに傑出しようとする人に鉄槌を加えたい、

 

それを掣肘したいという普遍的な意地悪根性なのであります。

具体例としての福田赳夫


日本政治史において最もこの意地悪根性が露骨に現れたのが、福田赳夫の総裁任期満了に伴う、ポスト福田の争いでありましょう。

 

三木武夫の後を受けて1976年に総理総裁の座について福田赳夫は、盤石の政権運営を続けたまま、総裁任期の2年が経過しようとしていました。

 

本来自民党の総裁は、慣例的には最大3戦まで、という暗黙の了解がありましたので、福田が続投を望めば、本来は次期総理総裁も狙える状況でした。

 

しかし、その2年前には大福の密約というのがあって、三木武夫のあとは福田赳夫に総理の座を譲る代わりに、2年後は大平正芳にその座を明け渡す、

 

という約束をしていたのです。

 

ところがどっこい、福田はその国民的人気の高さなどから、密約を反故にして、続投を表明しました。当然大平側は反発し、結局総裁選挙が行われることになったのであります。

 

この際、日本の政党政治史において初めて、自由民主党員による予備選挙というものが行われました。

 

党員による投票をまず行い、上位2名のみが本選挙に進めるという仕組みです。

 

この予備選挙においては、福田赳夫は自身の有利を確信し、「予備選挙で2位になったものは、本選挙への出馬を辞退すべきである」という発言をテレビでしてしまいます。

 

この時に福田の言い方、表情と言ったらもう笑えるぐらいのもので、いまYoutubeではその動画が削除されているのは非常に残念ですが、

 

ニタニタしながら、

 

「へへっ、フヒッあの、予備選挙の結果が、こう、なんちゅーか、ふひひっ、カラフルにっちゅーか、明確に、フフっ、結果が出たら、負けた方がヘフフッ、本選挙の出馬は辞退すべきだと思います。ヒャハっ」

 

とまあこんな感じで言ったものですから大変です。

 

この発言に火がついた大平・田中角栄連合は、決死のローラー作戦を展開して、下馬評を覆し、蓋を開ければ予備選挙は大平の圧勝、福田は自分の広げた大風呂敷を咎められる形で、2選を諦めざるを得なかったのであります。

 

このように、結果が確実ではないがある程度予測できるような状況において、大風呂敷を広げてしまう、心理学、経済学用語で言えばコミットメントをしてしまったばっかりに、これを咎められてしまうのであります。

 

タイトルに書いたように、自己破壊的予言と言ってもいいかもしれません。

 

自己破壊的予言とは、自己成就的予言の反対で、

自己破壊的予言は「予言がなされることで、予言がなされなかったら辿ったであろうコースから人間行動を外れさせ、その結果、予言の真実さが証明されなくなる現象」のこと

出典:実現しない未来(予言の自己破壊)

であります。

 

福田の場合、「予備選で負けたら本選挙を辞退すべき」などと発言しなければ問題なく2選できただろうに、発言をしたばっかりに、2選できなかった、ということになりましょう。

補論 安倍総理の危うさ


ここで補論として申し上げたいのが、2017年の衆議院解散に伴う総選挙についてです。

 

安倍総理は解散決定時に、以下のように発言しました。

まず勝敗ラインだが、衆院選は政権選択の選挙だ。いわば、自公政権を選んでいただけるのか、あるいは野党政権を選ぶのかを決める選挙であるから、当然過半数を取れば政権を取り、過半数を取れなければ下野する。私も辞任することになる。

出典:ライブドアニュース 安倍晋三首相 衆議院選挙で過半数を取れなければ「私も辞任する」

過去の歴史が教えるところによると、この発言は完全に死亡フラグなのであります。

 

ただ今回の様相は、角福戦争時と少し異なっているようで、敵対勢力たる野党、即ち希望の党や立憲民主党の結束力がなく、大角連合とは比べ物にならないということであります。

 

ただし、この総理のコミットメントは、はっきり言って百害あって一利なしであって、言って得することは今振り返ってもほとんどないように思いますから、

 

中途半端な大風呂敷は、わざわざ広げることはないのです。

一般市民生活における応用

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上記で述べたようなコミットメントが、自己破壊的予言につながる場合は、そのコミットメントに一定の特徴があることを、最後に述べておきたいと思います。

 

一般化して申し上げれば、特徴は以下の4つかと思います。

 

①その目標とするところに経済的な要素が入り込む余地がないこと(言い換えれば政治的性質が強いということ)
②利害関係を持つグループが少ないこと(中立的立場のグループがあまりいないこと)
③目標とする成果というものが、白黒はっきりつけやすいこと(0か1か、できるかできないか、設定される閾値を超えるか超えないかなど)
④発言者の地位が比較的高いこと

 

例えば①については、「新商品の販売で今期100億円の売り上げを立てる」という目標が、その組織の一般的感覚からして極めて高い目標であった場合を考えましょう。

 

この場合、大きな売上が立つことについては、会社組織としては完全に良い話です。

 

もちろん個人的に、その発言者の突出を嫌う人はいるかもしれませんが、それはミクロ的な嫉妬という問題であって、本論とは少し次元が異なる世界の話です。

 

このように経済的目標の成就については、それほど破壊を招くことはない。

 

問題なのは政治的なものであって、例えば「事業部の根本的刷新を図るための部署を新設する」という発言、そしてそれがもしできた場合に、その部署の長となるであろう人物による発言である場合、これは極めて危険です。

 

部署の設置というのはそれが直接経済的利益にはなりませんし、一見かっこよさげな部署が新たにできてしまうというのはなんかムカつくところです。

 

そして部署横断的な機能を持つ部署は、他の部署からすると普通はうっとしがられるものなので、中立的立場の人もほとんど期待できない。。。。

 

などということを考えていくと、上記4つの特徴を持つような状況における大風呂敷、コミットメントは非常に危険で、下手したらそれ以上の出世は望めなくなってしまう可能性が高い。

 

逆にこれを応用して、シニア世代を引き摺り下ろすことも可能ということになりますが、これについてはまた別のエントリで検討して見たいと思います。