会話を反芻し妄想してしまうという病 悪い妄想の自己増殖が精神を蝕む

johnhain / Pixabay
人生の悩み

反芻、と言われて思いつくのは、牛が草を食べて一度胃まで飲み込んだものを、後からもう一度口に戻してモグモグする、という動作でありましょう。

 

大半の人がそれを想像するのではないかと思います。

 

これは牛の胃が4つあるのと、牛には上の歯がほとんど無いことなどが理由なのですが、そのあたりは本稿の主題では無いので、深くは触れませんが、

ユダヤ教徒が食して良いとされている陸生動物は反芻する動物に限られるなど、調べたら奥が深いので、

気になる方はお調べになってください。

 

さて、ここで扱うのは、そういった摂食上の行動ではなく、思考的な反芻であります。

思考的な反芻

思考的な反芻というのはつまりこういうことです。

 

今日学校や会社で発生した実際の出来事、多くの場合、会話の内容ですが、それを家に帰ってからなど、後になってから頭の中で再現することです。

 

この思考的反芻自体は、誰でもが行うことですので、それ自体に大きな問題はありません。

 

しかしその程度も一定の閾値を超えてしまうと、無気力、やる気減退や注意散漫、集中力の低下をもたらし、ひいてはうつ病を発症してしまうというようなリスクもあるため、十分に注意しなければなりません。

反芻される会話の特徴

特に鬱気質のある方が反芻してしまうのは、自分が嫌だと思った内容の会話です。

 

例えば友達だと思っていたAさんから、思っても見ないことを言われた、とか、あるいは人づてにBさんが自分の悪口を言っていたと聞いた、とかです。

 

そういう経験もまた、誰もが経験することであり、それ自体に特段の問題はありません。

 

しかし反芻が精神衛生に悪影響を及ぼす人の場合、これが後々、妄想を逢い交えつつ、増幅してしまうことで、不要なストレスが発生してしまう、ということにあります。

 

この反芻を抑えられるタイプの人と、抑えようにも抑えられないタイプの人がいて、後者の方は相当程度うつ病リスクが高く、またうつ病まではいかないにしても、

 

無駄なストレスを常に背負って生きていかなければならないという宿命が生じてしまいます。

会話の反芻の自己増殖

反芻から派生的に発生する、ストレス増大の仕組みをもう少し説明したいと思います。

 

鬱的気質のある人の場合、ネガティブな印象を持った会話が、とめどなく、かつ無規則に、非常に長い期間にわたってなんども想起されます。

 

そうしてそれだけではなく、これが最も重要ですが、頭の中で反芻された会話に、尾ひれが付いてしまう、という問題が生じるケースが多いのです。

 

つまり、実際に起こった出来事に加えて、それをさらに悪い方向に解釈し、ストーリーを作り上げてしまうのです。

 

それがパターンを少しずつ変えつつも、数ヶ月から年単位にわたって繰り返し発生してしまう。

 

ちょっとトイレに入って用を足している時、お風呂に入っている時、食事中、歩行中、電車に揺られている時など、気が緩みかけると隙を見つけて物語が再生されます。

 

関係人物の声やシチュエーションなどが非常に精密に再現され、臨場感は抜群であり、それゆえに、ストーリー展開から生じるストレスも著しく強いものとなります。

意図的に止めることが難しい

この問題のさらに根深いところは、会話の反芻→悪い方向への妄想の繰り返し、に止まらず、意図してその悪循環を断ち切ることが非常に難しいということです。

 

この妄想の断ち切りは、数回程度は成功しますが、そのうち断ち切ること自体が非常なストレスになってきます。

 

なので最終的には妄想を再開する事になりますが、その際には、少しテイストを変えたストーリー展開になります。

 

どう変わるかというと一言で言えば、復讐という結末に達成する物語に変わるという事です。悪い方向への妄想を断ち切り、敵とみなした相手に対してこれを完膚なきまでに打ちのめすことが出来るようなストーリーに生まれ変わる傾向が生じます。

 

これはある意味では進歩なのではありますが、実現が難しいという自覚がある故に、根本的な解決にはなりません。

 

一番良いことは何も考えない事、あるいはもっと生産的な事に思考を巡らせる事ですが、そういった所には精神的なエネルギーは一切利用されず、

 

良し悪しに関わらず、非現実的な妄想のストーリー構築に浪費され、いずれのケースでもストレスが生じてしまうのです。

反芻の副次的被害

冒頭、すでに述べたように、今述べたような思考上の癖は、当然抑鬱状態やうつ病と密接に関わっていることはいうまでもありません。

 

この癖、習慣のせいで、本来存分に楽しむべき人生が、十分に満喫できないという、甚大な問題が生じることは明らかです。

 

またそれだけではなく、人生に対して以下のような悪影響が認められると考えます。

 

それは、事実ベースの思考能力が落ちてしまう、ということです。

 

これにより、特に、仕事面や学習面において、多大な悪影響が生じます。

 

学習面では、本来的には「何故そうなるのか」を正しく理解することで、応用問題にも耐えられる能力が身につきますが、理屈を理解することは、比較的長時間(といってもせいぜい数十分から1時間ほど)かかりますが、

 

散漫なる妄想的思考が常に襲ってくるので、思考が中断されてしまう可能性が高い。

 

こうなると、理屈の理解は後回しにされ、丸暗記に逃げがちです。暗記力が良ければそれなりに点数は取れますが、しかし例えば学者の世界に進むことは、すでに絶望的であると言えるでしょう。

 

また仕事面においても、例えば現場の問題を正しく認識し、それを整理した上で、問題の解決を図る、というようなシーンがよく見られます。

 

こういった局面で、現場の問題という具体的で膨大な事実データを直視する、ということが非常に難しい。

 

思考自体が散漫になっているので、少しのデータを見ては、すぐに単細胞の自己の思考に戻ってきては、無意味な理屈をこねくり回して勝手に疲れている、

 

ということがままあります。

 

ということで、もう長くなるのでやめますが、会話の反芻と尾ひれをつけた悪い妄想、あるいは超非現実的な、復讐を可能ならしめるような妄想は、広義における病であることは間違いなく、

 

これが病であることを正しく認識しなければなりません。

 

本稿は、その病に対する処方箋を提供するわけではなく、まずはその事実を直視することが重要であると主張するためのものであります。その点をご理解をいただければと思います。