政教分離を誤解しないために 正しい政教分離の内容と理念を理解しよう

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コアトルの放言

ある宗教団体が話題になるたびに、政教分離の問題が取り沙汰されます。

 

しかし世の中の多くの政教分離に関する批判や指摘を見ていますと、どうも大きな誤解をしている人が多いように見受けられます。

 

コアトルは言うまでもなく、コアトル教の信者であって、特定の政党の有力な支持母体の信者などではありませんが、

 

この辺りの理解というのは、人類における悠久の歴史から抽出しうる一つの真理の理解にもなると思うのです。
(ああ、もちろん私はオウム真理教の信者でもありません。)



政教分離の主たる目的は国家による特定宗教の優遇、弾圧防止

日本国憲法には、実は、そもそも「政教分離」なる言葉はないのですが、政教分離の理念を表した条文は、憲法第20条と言われています。

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
出典:Wikipedia 日本国憲法第20条

政教分離と聞くと、どうしても、ある宗教団体、またはその宗教団体の影響力のある政党が国家権力を行使することを防止する制度、という側面が強調されがちです。(特に日本の場合。)

 

しかしその内実は、国家権力が特定の宗教を保護したり、弾圧したりすることで、個人に絶対的に保障された信教の自由を間接的に侵すことがないようにすることを目的としているのですね。

 

人類の歴史、というのは全くもって宗教対立の歴史であるといっても過言ではありません。

 

日本においては、仏教と神道は廃仏毀釈、神仏融合など、融和と対立を繰り返しながら時代を経てきました。

 

それだけでなく、バテレン追放令なキリシタン大名の弾圧など、キリスト教に対しては強硬に弾圧を実施した時代もありました。

 

政教分離には、こういった悲惨で無益な争いを出来るだけ回避しよう、そのために、国家権力が宗教団体や宗教活動に関与することは争いの元となるのでやめておきましょう、という高邁なる理念があるのです。

 

逆にいうと、特定の宗教団体が仮に政治活動をして、政党を作ってこの政党の意見を間接的に国政に反映させたとしても、

 

それによって他の宗教を間接的にも締め出すような結果にならなければ、全く問題はないのです。

 

宗教団体が支持母体の政党があって国政で活躍し、法案を提出し、それが通ったとしても、それが例えばブラック企業には法人税を倍課そう、などという法律であれば、別に何の問題もないのです。

 

そうやって主張しますと、勘が鋭い方は、いかなる宗教団体も、(国から特権を受け、又は)政治上の権力を行使してはならない。という文言について指摘されます。

 

全くごもっともでして、宗教団体は政治上の権力を行使してはならないならば、宗教団体の息のかかった政党が、国政の場において立法をする、ということ自体NGなのではないか、というのは実のところ私もそのように思います。

 

世の多くの人が政教分離を誤解する要因の一つはここにあるのであって、政治上の権力を行使してはならないだと、かなりがんじがらめ感があって、宗教団体は政治に関わるような一切の行為をしてはならないのだと誤読してしまいがちです。

 

しかし通説的見解では、この「政治上の権力の行使」というのは、政党を作ったりすることまで含むような広範囲な概念ではなく、国家が独占すべき、立法権、課税徴収権、裁判権などを指している、というのが通説的見解です。

 

非常にわかりやすくいうと、お寺の住職が弟子の坊主と多数決で「地域の住民に税金を課す」法律を作って実行するとか、お寺の住職が大岡越前よろしく裁判をして、山田さんは1年間草むしりの刑などと判決を言い渡すということはできませんよ、ということです。

(最も田舎に行くと、未だにお寺に税金みたいな上納金をおさめていたりするのですが。。。)

 

さすがにそのレベル感で国家権力を行使している宗教団体は、今の所日本には見当たりません。

 

少なくとも文言自体は、もう少し誤解を生まないような書き方、例えば「政治上の権力」の前後に、立法権、課税権、裁判権などを、と列挙するといいのかもしれません。

 

しかしそういう風に条文を修正しようがしまいが、内実としては、列挙した場合と同じことを指しているのです。

支持母体はどんな政党にもある

もっとよく考えて見ますと、民主党が、労働組合の元締めである連合の意見を反映した立法をすることはOKで、一方で公明党が創価学会の意見を反映した立法をするのはNGだ、というのも少し公平性に欠けるのも事実なのです。

 

もちろん、どのような支持母体を持つ政党であっても、特定の宗教を優遇する政策は取ることはできません。そういう立法をした時点で、本来的には違憲、無効です。
(最も、裁判所において判決が出るまでは運用されるでしょうが、、)

 

そうやって考えますと、政教分離、というのは確かにふわっとした印象を持ってしまう制度なのですが、実際のところは、いかがわしい宗教的組織が、傀儡的な政権を作り上げ、背後から操作し、傀儡政権をして自分たちの宗教団体を優遇せしめるような行動をとることを防止する、最後の砦になっているのです。

 

世に頒布する政教分離に関する意見を見ていますと、どうしても、「今の政教分離はゆるい。有名無実化しているから、さっさと憲法を改正してもっと厳しくしろ。」などという意見が多く見られます。

 

こういう人は、直接的に言えば、幸福実現党や公明党といった存在そのものが気に食わないということなのだと思いますが、

 

中国共産党に支援された日本共産党や、連合に支持された民主党は問題視せず、宗教団体が支持母体にある政党のみを問題にするのは、木を見て森を見ず、という感じが致します。

 

逆にいうと、どうも宗教団体系の政党、というのは支持母体がはっきりしすぎているが故に、なにやら操り人形のように見えて薄気味悪いのです。

 

そして、それを諌める武器として、政教分離という耳障りのいい武器があるので、簡単に手にとってしまう。

 

しかしどんな政党にも、裏にはちゃーんと支持母体がいて、同じように自分の団体の意見を反映した立法をするように、陰に陽に圧力を与えているわけです。

 

その背後の支持母体が、宗教団体であろうとなかろうと、各政党が提出する法案を観察し、その背後にある意図を読み解くという冷静な姿勢が求められていると思うのです。