売り上げ部数狙いのチンケな自己啓発本に限らず、あらゆる上から目線な人たちが(もちろん私コアトルを含みますが、、)、よく「考える癖をつけろ」と言います。
「考える癖」などと言われても、普段から何も考えずに生きる方が難しいわけですから、そんなことを言われるとムッとします。
ただコアトルも数年間社会人として身を置いて、それなりに責任ある立場になって改めて考えますと、本当に考える癖、というか姿勢がある人とない人では、
安心感が違いますし、また本人の成長スピードも格段に違う、ということを身に染みて理解しました。
本稿では、考える姿勢がない人の特徴及び理由と問題点について研究したいと思います。
考える姿勢、癖が欠如してしまう理由・原因

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考える姿勢がない、というのはよく言われることでありまして、またある程度の謙虚さを持ち合わせている人ならば、
「うーむ確かに俺は考える癖や姿勢がないように思われる。しかしどうすればいいのかわからん。」などと悩む人も多いかもしれません。
考える癖が身についていない人の最大の特徴は、ある物事の合目的性に対する意識の欠如であります。これが最大の理由です。
合目的性などと聞き慣れない言葉を使いましたが、決してそのような言葉を使ってむやむやにしようというのではありません。
合目的性というのは、読んで字のごとくではありますが、大辞泉によりますと「ある物事が、一定の目的にかなっているさま」とあります。
出典:デジタル大辞泉
実のところ、この世の中において、広く流布しているものは、ものであれ、法律などの制度であれ、極めて合目的性を重視して作られていることがわかる。
ごく身近な例で言えば、「コップ」というものは、何か飲み物を飲む目的で作られていますが、それゆえに、取っ手があって底が深い構造になっているわけです。
湯呑み茶碗などは取っ手がありませんが、やはり底が深いのです。これがそこが浅かったら、それはコップではなく皿など他の食器なのであって、
少なくとも何かを飲むための道具としては役に立たなくなるのです。
法律の例をあげてみますと、例えば公衆浴場法という法律があります。
この法律の2条には、「公衆浴場の設置場所が、公衆衛生を保つために不適当であると都道府県が判断した場合は、出店許可を与えない権限を有する」というようなことが書いてあります。
参考:公衆浴場法
各都道府県は、この2条に従って、公衆浴場(所謂銭湯)の設置に関して、各銭湯間の距離制限を設定していました。
例えば「ある銭湯の半径200メートル以内には、新たに銭湯を作ってはいけません」というように。
さてここで疑問ですが、まず公衆浴場法の設置目的というのは、家にお風呂を持たないような貧しい方にも、浴場を安い値段で快適に提供できることを担保するための仕組みです。
銭湯というのはお風呂を持たない人にとって非常にありがたいものですが、多くの人が共同で使用するため、衛生上の規制を厳しくする必要があるわけです。
しかしよく考えてみますと、銭湯はたくさんあった方がいいはずですよね?
たくさんあった方が、使う人も便利だし、競争が激しくなって、より安い料金で利用できるようになるかもしれません。
しかしそうではないのです。一定の距離制限を設けないと、過当競争になり、その地域の全ての銭湯経営者が共倒れしてしまい、銭湯がなくなってしまう、
という危険があるのです。
だから、日本国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、という憲法の理念を具現化するための公衆浴場法に基づいて、
各都道府県があえて銭湯の出店を制限する、というのは、逆説的に聞こえますが、実は非常に目的にかなった規定なのであります。
素人の法律講釈になり反吐が出た人もいるかもしれませんが、今述べましたように、世の中のあらゆるものや仕組みは、極めて合目的性を重視しているということが、
なんとなくお分りいただけたらと思いました。
合目的性の意識をどのように高めるか

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結論から申し上げれば、仕事や私生活のあらゆる局面で、当たり前と思ってやっていることについて、立ち止まってその合目的性を熟慮してみることです。
四六時中やる必要はないですが、少なくとも1日一回はこれをすることで、考える癖がついてきます。
結局のところ、考える癖がない人は、合目的性への意識が全くない(と、少なくとも周囲から見られている。)
会社などでディスカッションをする機会も多いのですが、特に最近の若い人は、「なんとなくこう思うから」とか、あとは何かこう、耳障りの良いことばかりを揃えては、
自己満足に陥っているように思えます。
何か課題がある、ということは、その課題を解決するための手段を検討する必要があるのに、その意識が完全に欠落しているが故に、トンチンカンな意見ばかりが出てしまう。
日々の仕事ひとつ取ってもそうです。
大企業であればあるほど、末端の作業は完成されており、ルーティン化していることが多い。
こうなると、本当にああすればこうする、こうなればこうする、などと全然頭を使わなくても仕事が完遂できるようにマニュアル化されているのです。
それはそれで重要なことですが、単にこなすだけで良いと思っている人が多すぎる。
何故そのような順序で作業を進めるようになっているのか、などということを何も考えずに、感覚的に仕事をこなしている。
派遣社員ならともかく、正社員として入っているのに、一向にそういう態度の奴は、その時点で全く出世の見込みがないと言って過言ではないのですが、
すなわちこういう態度のことをさして、「考える癖をつけましょうね」と言っているのです。
そのまま卒業した人が多いでしょう。
まあ別に微分くらいならそれでも全然いいのですが、社会に出て実際に仕事をすると、その「とりあえず指数を前に出して〜」精神では、長い目で見て活躍できる可能性は全くない、と肝に命じておくべきです。
すでに完成された仕事が目の前にある時、それはもっとも合目的性の高いやり方である可能性が高いのです。
他のやり方、順序ではなく、まさにそのやり方が、もっとも目的達成のために望ましいからこそ、そのようになっている。
勘違いしていけませんが、決してその観点は、効率性だけではないのです。効率性は非常に重要ですが、合目的性のためには、効率性に目をつぶる必要がある場合もあります。
逆に明らかに非効率と思われる手順がある場合には、何故そうなっているのかを考えるのも大変勉強になるでしょう。
そしてこれほどに合目的性への意識が重要かというと、この姿勢は他のあらゆる仕事にも役立つからです。
いや仕事だけではなく、私生活においても非常に重要です。
人生そのものの目的を見つけるのは非常に困難ですが、人生の一コマ一コマには必ず何かしらの願望や望みを含む目的が存在します。
その目的達成のためにどう言った手段がもっとも望ましいかを考えていくというのが人生の醍醐味の一つでもあるのです。
特に最近の若い世代は、かなり世の中の仕組みが出来上がった状態で成長してきている。
大抵のことは与えられ、深く考えずともなんとかやってこれた人が多い。
それはそれで大変素晴らしいのですが、そういう人ばかりでは社会の成長も止まってしまいますし、その次の世代が苦労してしまう。
考える姿勢が足りない問題は、それくらいスケールの大きい話であるとご理解いただきたいのです。
合目的性への意識というものを、改めて考えて見ていただければと思います。
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