世の中の宙吊り広告や啓発書、それに類する書物や文化人たちが、間断なく読書の重要性を主張します。
金持ちには読書家が多いとか、偉人には読書家が多かった、とかそういう事例を持ち出しては、読書の重要性を説いている。
最近の若者は読書をしなくなった、などと偉そうにいうのも同じ連中であります。
さて、事実を見て見ますと、確かに金持ちには読書家が多いように思われます。もちろん全てについてそうではないでしょうが、
ウォーレンバフェット、ビルゲイツ、マークザッカーバーグ、孫正義、、、など枚挙にいとまがありません。
しかしこれは例外もあるに違いないですから、真理ではないのです。読書の重要性を軽視するわけではありませんが、真理を極めんと欲すれば、
もう少し立ち止まって考える必要がある。
なぜ読書をするのか

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読書をする目的というのは、人によって様々でありましょう。
○専門的知識をつけたい
○カタルシス(情緒の経験が、日ごろ心の中に鬱積(うっせき)している同種の情緒を解放し、それにより快感を得ること。浄化。)を得たい
○本を読むのを面白いと感じる(=読書が趣味)
などなど、他にもたくさんあるかと思います。
しかしいかなる理由であれ、まとめて言えば、それぞれの理由のために、読書をしたい、と思うから読書をするのです。
これはコアトルの偏見かもしれませんが、読書、というのは決して楽ではありません。
読書のために時間も費やすことになりますし、時に耳慣れない知識について詳細に書かれたような文字をたくさん読まなくてはならない。
それでも尚読みたいと思う気持ち、というのは、特にこの現代社会においては、極めて希少価値の高いもののように思われます。
というのも、コアトルの経験上申し上げれば、この本を読みたいと切望する気持ちは、広義の好奇心、というのは極めて健全な精神状態になければ現れないものであるからです。
好奇心は健全な精神に宿る

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現代において人間関係ほどストレスの要因になるものはありません。
現代日本では、教育や経済などに関する制度が完全に成熟化したために、そのレールから抜け出すということが逆に大きなリスクになりました。
※昔はそんなことなかったのだ、という主張については、以下の記事をご参照ください。
これからの職業選びをどうするか IT、副業 そして1940年体制からの脱却
これによって実社会の人間関係もかなり硬直的になり、抜け出すのが難しい。
それゆえに、いじめ、パワハラ、モラハラなどという新たな脅威からのストレスから逃げ出す際のコストが高いのであります。
このような社会においては、ストレスが慢性化してしまい、うつ病になる危険性が高まっているわけでありますが、うつ病になると全く好奇心などがわきません。
またうつ病でなくても、慢性的なストレスを抱えていると、頭の中が過去の嫌な記憶や、悪い妄想でいっぱいになってしまうので、
あらゆることがどうでもよくなり、厭世的になってしまうので、当然、いうまでもなく読書などしなくなります。できなくなるのです。
成功者は健全な精神を持っている
成功者や偉人についての検討に話を戻しますと、たいていの場合、大金持ちや偉人の精神は健全です。
少なくとも、うつ病、うつ気質、うつ傾向はない人が多い。
エネルギッシュで道無き道をがむしゃらに開拓していく精神がある。
そういう人には当然好奇心も生まれるわけですが、それがたいていの場合、本を読む、という行為に繋がるわけであります。
もちろん、本を読むのではなく、別の手段、例えばパーティなどに参加していろんな人の話を聞く、人脈を作る、カンファレンスやシンポジウムに出席する、
という方法で好奇心を満たす人もいるでしょう。
ただ間違い無く言えることは、それらの手段は、嫌々やっているとか、湧き上がる気持ちもないのに、無理にやっている、などということはなく、本当に楽しんでやっているということであります。
ここまで考えますと、もういう必要もないかと思いますが、結論としては、本を多く読む人ほど成功者が多い、というのは真理の一面ではありますが、
それは結果論であって、あなたが今後多くの本を読めば、成功者になれる可能性が高くなる、ということを全然意味しない、ということが重要なのです。
それは好奇心から生まれた読書ではないから、ということであり、それはとどのつまり、そもそも自発的な読書に繋がるような好奇心が生まれるほどの、健全な精神を持っているわけではないからです。
健全な精神を得るために
なので、成功者になりたいということであれば、たくさんの本を読む、ということは間違った方法である可能性が高く、むしろ健全な精神を得る、ということが重要になるわけですが、
じゃあどうやって健全な精神を得れば良いのか、という話になりますね。
これはちょっと突拍子も無い言い方になるかもしれませんが、あの大天才にして世界でも著名なる文豪、三島由紀夫先生の言を借りますとすなわち、
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
ということなのです。
元々は確か、ギリシャのスパルタにおける教育理念を引用して三島由紀夫がいくつかの本で紹介していたのかと思いますが、コアトル自身これは真理かと思います。
コアトルも最近随分うつ病傾向がましになってきましたので、通勤時間に読書をする習慣を復活させることができました。
この前段階において、コアトルは運動を始めました。
Fitbit(フィットビット)という、ウェアラブル型?の時計を買って、毎日歩数や消費カロリーを計算しながら、体力をつけるためにランニングを始めたりもしました。
買ってから置物になっていたダンベルも引っ張り出して筋トレも始めました。
そうしていると、ちょっと嘘っぽいんですけど、どうやら本が読みたくなってきたのです。
元々学生の頃は、学生だからという理由で、意味もなく本を読んではいたのですが、心から読みたいという気持ちになりました。
読みたくなった本のジャンルは。仕事上必要な知識に関係するものもあれば、そうでなく単に自分の興味に関するジャンルの本など様々ですが、
とにかく自然に、読みたいという気持ちになったのですね。
ですから、健全な精神を得るには、健全な肉体を得るための努力をすればいいということになる。
最後にもう一度まとめていうと、読書をすることで成功者になれる可能性が高くなるのでは無い、もし可能性を高めたいなら、
読書を読みたい、と自然に思えるような健全な精神を取得しなさい、そして、健全な精神を取得するためには、健全な肉体を得るために運動をしなさい、
ということになる。
つまるところ、運動をすることで成功者になる可能性が高くなる、というのは、真理であるということになるわけであります。