組織というものは大きくなればなるほど、自己防衛本能というものが働くように思われます。
コアトルもまだまだ社会人経験はそれほど多くはありませんが、それなりに大きな会社で、多くのプロジェクトに携わり、あるいは傍目で見ていて、
そのことをよく思い知るようになりました。
組織というものは面白いもので、それ自体に当然意志などはないにもかかわらず、組織のメンバーたちの集合的無意識というものが成熟すると、
自然発生的に、ある特定の行動を取るようになるのです。
特に注目したいのは、プロジェクトが失敗しそうになった時に頻繁に起こる、スケープゴートの選定と追随です。
目次
プロジェクト失敗の責任は誰にあるのか

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何らかのプロジェクトが発足する時、当然それを実現するための組織というものが大なり小なり作られます。
この組織には、よほどリベラルな会社でないならば、当然役職に基づく序列というものが存在する。
プロジェクトリーダーなり、そのプロジェクトのための部署ができた場合の部長なりが、まず一番上に来て、以下課長、課長補佐、平社員などと続く。
呼び名は違えど、だいたいそんな感じの組織体系になっているのが普通でありましょう。
さて、このプロジェクトが盛大な失敗に終わる、ということは、残念ながら、特に明確な答えが存在しない現代の日本社会においては、ありがちなことです。
プロジェクトの失敗というものは、徹頭徹尾、そのプロジェクトの責任者、そのプロジェクト組織において最も上に立つ立場の人が取る、というのが自然な考えであります。
もちろん、常識の通りに、潔くその人が責任を取る、という場合もあるでしょうが、そういうことはコアトルが見るにほとんどありません。
しかし、失敗した以上は、誰かに責任を取らせなければなりませんね。
こういう時に、悲惨なことに、スケープゴートになる人が選定されてしまうわけです。
スケープゴートになってしまったらどうなるか

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さて、まずはスケープゴートという言葉について、簡単に触れておきましょう。
スケープゴートはもともと宗教的な文脈で使用されていたようです。
スケープゴート(英: scapegoat)は、「身代わり」「生贄(いけにえ)」などの意味合いを持つ聖書由来の用語。「贖罪(しょくざい)の山羊」等と訳される。
原義としてはヘブライ聖書において、贖罪の日に人々の苦難や行ってきた罪を負わせて荒野に放した山羊を指した。在の意味はこのやや宗教的な意味合いから転じて、不満や憎悪、責任を、直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁することで、それらの解消や収拾を図るといった場合のその不満、憎悪、責任を転嫁された対象を指す。簡単な使われ方として、事態を取りまとめるために無実の罪を着せられた「身代わり」や、無実の罪が晴れた場合の「冤罪」などが存在する。
出典:スケープゴート wiki
罪もないのに、失敗の責任を転化させられるというこの不幸を身に受けた場合、一体どうなってしまうのか。
一言で言えば、「干される」ということになりましょう。
具体的に言えば、
○プロジェクトに関するあらゆるミーティング、会議にその人を呼ばなくなる。
○メールの宛先から除外されてしまう。
○上記の結果もあるが、仕事がほとんど与えられなくなる。
○降格になる。(この場合、当然別の理由で事実上の降格になる場合がほとんど)
といったところでありましょう。
こうなると悲惨で、全く露骨で周囲にもそれと分かるほどだと、個人的には、周囲に悪影響を及ぼすために、こういう仕打ちを与えるということには反対ですが、
組織ということになると、結局いじめと同じで、平気でそういう仕打ちを与えてしまうものなのです。
スケープゴートになりやすい人の特徴と原因

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スケープゴートに選定されてしまう人というのは、一定の基準というか、わかりやすい特徴があります。
一言で言えば、普段の勤務状況において、何らかの傷を持っている、ということです。
傷というのは、優秀だ、とか高学歴だ、とか役職が高い低いに関係なく、例えば、
○いつも定時で帰るくせに、その人の部下やチームメンバーは比較的遅い(労務管理が下手)
○仕事中の姿勢や態度が(少しでも)悪い
○性格的にドがつく真面目ではない、キャラ的に三枚目の存在である
○女、夜遊び好きである
○家庭環境がうまく行っていない
などでありましょうが、これは得てして誰しもが持っている人間の特性の一つとも言えます。それくらい、些細なことなのです。
上記のような傷、というものは、基本的には、あるプロジェクトの成否に、直接関係しているわけではありません。
コアトルが見て来たケースでは、全く関係なく、もっと根本的で致命的で明確な原因があるにもかかわらず、その責任は誰も取らずに、
傷の目立つ、あるいは(むしろこちらの方が多いですが)傷も全然ないんだけど、傷がありそうに見える人が、スケープゴートにされやすい。
そうして一度スケープゴートが選定されれば、これもいじめの論理と同じで、擁護してしまうと今後は自分もスケープゴートになってしまう恐れから、
選定された人を排除する流れに同調する。
こうしてまた一人、うつ病リスクの高い人が組織に発生する、というわけなのです。
世の中のあらゆる出来事は歴史の相似形

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誰の言葉だったかは全く思い出せませんが、世の中の出来事はすでに歴史上起こった出来事と一致することはないが、相似形で発生する、というようなことを言った人がいたと記憶します。
全く真理であると言って過言ではありません。
わかりやすいところで言えば、太平洋戦争末期に、日本陸軍がビルマで展開したインパール作戦でありましょう。
失敗の代名詞とも言われるこの作戦は、補給計画の無謀な計画立案や、人事上の温情主義が純粋な作戦の科学的検討結果よりも優先されたことにより、
多くの日本兵の屍を生み出しましたが、失敗当時は、独断でコヒマから撤退した31師団の佐藤幸徳師団長に全責任をおしかぶせようとしたのです。
今でこそ、失敗の原因は、牟田口司令官にあったとするのが通説になっていますが、少なくとも同じ陸軍において、牟田口司令官の責任を問う声などは、
事実上ほとんど皆無だったのであります。もちろん、陸軍内に、「本当は牟田口が悪い」と心の中では思っている人は多かったはずです。
しかし、思っているというだけでは、何の意味もないのです。
結局、佐藤師団長をスケープゴートにして軍法会議にかける(実際にはかけられなかったが)という方針を、みんな追認していたわけですね。
あるいは、第二次世界大戦の日本の敗戦の責任もそうでありましょう。
あれは、外部の組織、すなわちアメリカをはじめとする極東軍事裁判であったからこそ、きちんと開戦時の当事者が裁かれたわけですが、
もし日本人の手によって敗戦の責任を問うような機会があったとしても、まさか死刑には絶対にならなかったはずです。
それどころか、裁判自体も開かれなかったに違いない。
そうしてうやむやにして、本当は責任を取るべき立場の人ではなくて、むしろずーっと戦争に反対して来た人たちを槍玉にあげて、
「お前らみたいなのがいたから負けたのだ非国民」などと言って、吉田茂とか、中野正剛(既に敗戦時に割腹自殺)とか、宮中グループとか左翼とかをスケープゴートにしたに違いない。
こういうことが、毎日のように、あらゆる組織において実行されていると思われます。
スケープゴート発生のメカニズム

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上述の事柄を、より抽象化して申し上げれば、結局根本原因は、人間個人には防衛本能というものが備わっているということにつきます。
プロジェクトの失敗というのは、何も最後の段階にならなくても、途中から何となくわかるのであります。
確率的に、「ああこれは失敗する可能性が高いな」と、プロジェクトの責任者が感じた段階で、自らの首に対する危機意識が芽生える。
これは当然のことで、この防衛本能がなければ、人間はここまで進化しなかったし、文明もここまで発展しなかったでしょう。
だから、失敗の責任を取らされるべき役職の人からすれば、当然これを回避しようとするのは当然なのです。
そこで彼は一計を案じて、プロジェクトの途中において発生する種々の失敗の中から、「ターゲットにすべき人に帰責性が少なからずある失敗」を選び出して、
それをことの外重要視しだす。(誤解なきように言えば、この失敗というのは、本当に些細なことも含みます。)
重要視するどころかそれを大きな問題にして、そしてそれほど意味はないのに、その失敗の原因究明と、修正、再発防止などについての説明を求める。
そしてそれをみんなの前で発表させて、その人の罪悪感をあおるとともに、他のメンバーも同調しやすい環境作りに励む。
謝罪が済んだ頃に、徐々に徐々にメールの宛先や会議メンバーからフェードアウトさせる、、、、
という具合です。
トドメになることが多いのは、メンバーの追加です。
別の部署から、スケープゴートになる人と同じくらいの格の人を、同じような職務を担当させるために読んでくる、あるいは外から採用する。
こうなると業務が被っているので、事実上スケープゴートの人の仕事がなくなっていくわけですね。
実際のプロセスは、日々の人間関係が絡みますから、より複雑で巧妙ですが、概ねこういう推移をたどって、結局プロジェクトは事実上失敗するんだけれども、
適当に最低限の形になるように整えることに終始した結果、無用の長物が出来上がるというわけです。
くどくどと説明してしまいましたが、私が一等申し上げたいのは、このスケープゴートには、特に役職が上がれば上がるほど、なってしまうリスクが高くなる、
ということと、いつ自分がなってもおかしくない、という危機感を常に持つことです。
こういうことはあまり言いたくないのですが、一番良い保険は、自分がもしプロジェクトリーダーだったとして、スケープゴートを作らないといけない場合に、
誰を選定するかを考えた時、それが多数決をもしとる場合に、自分よりもその人が選ばれる可能性が高いと思うかどうかを、自分に問いかけることです。
もし、その人とどっこいどっこいなら、特に注意して、隙を作らないように仕事をする必要があります。
こんなことを考える時点で本当に人間のクズとしか言いようがありませんが、日本企業という組織の一員である以上、これは不可抗力なのです。
このパラダイムから脱却するためには、独立起業するなり、専業主婦(夫)になるなりして、組織から離れる以外に方法はないのです。