将棋の先崎九段がうつ病にかかってから回復・復帰するまでの顛末を記した本が出ました。
本ブログの一大テーマの一つであるうつ病という問題について、まさにその病魔に襲われた人の、リアルタイムに近い体験記とあって、参考になる部分も多いので、
ここでは同書から読み解くことができるうつ病の兆候や、うつリスクになりやすい環境、人などといった諸条件について考えたいと思います。
「うつ病九段」から読み取るうつ病の本質
本書にもあるように、うつ病というのはれっきとした脳の病気であって、「心の病気」などと巷で言われるような言い方は、誤解を招くとして強く戒められるべきであります。
ところが、脳の病気であるうつ病は、一方では非常な曖昧さを持っているということは理解しなければなりません。
最近になって、非定型うつという種類のうつ病が発生したように、同じ病気であっても、罹患した人の症状の重い軽いはもとより、
感受性、語彙力、性格といったものに応じて、客観的に見ると全く異なる病気に見えてしまう場合もあるということに注意しなければならないのです。
小学生だってうつ病を発症するリスクはありますが、きちんとした病院で診断を受けたり、治療ができない場合は、単なる「わがままな子」認定されてしまい、
不正確な治療によって症状が悪化、引きこもりや、自殺という最悪の事態さえ、引き起こしてしまう可能性がある。
昔、あの哲学の大先生、エマニュエルカントの偉大さと、特にその名著である「純粋理性批判」の難解さから、「人はそれぞれのカントを読む」と言われたことがありましたが、
このうつ病は「人はそれぞれのうつ病に苦しむ」などと言っても過言ではないかもしれません。
しかし私は、全てのうつ病患者に共通する一般的な特徴が少なからずあるのではないかと思っておりまして、
当代随一の文才を持つ棋士先崎九段の本書は、その特徴を探求するにふさわしい本だと思います。
真理としてのトリガー 強い責任感、連続したストレスそして激務
先崎氏がうつ病を発症する直前、将棋界は三浦九段の不正AIソフトによるカンニング疑惑で大変な騒動になっていたという。
コアトルも将棋好き、まあへたの横好きなのですが、当時はさもありなんという話で、三浦九段を疑っていた自分を今となっては恥ずかしく思います。
先崎氏は初めから、三浦九段にそのような疑惑を向けられるいわれはないと信じていたようですが、世間のバッシング、渡辺明ほかのメディアを巻き込んだ卑怯とも思える盤外戦には、相当のストレスを抱えていたと記しています。
責任感の強さ
先崎氏はいわゆる羽生世代に数えられるものの、大きな棋戦では優勝経験がないが、小学生時代にはあの羽生に勝ったという稀有なる人材ですが、
すでに40歳も半ばを過ぎて、めちゃくちゃになった将棋界をなんとか立て直そうと必死だったと言います。
ここが非常に重要なポイントでして、はっきりいって、この時先崎九段がそれほど将棋界のことを思ったり、難局を乗り切るために尽力をしなかったとしても、
別に将棋界が雲散霧消することはなかったはずです。
意地悪な言い方かもしれませんが、良いとか悪いでは無くて、そういう性格、責任感の強さ、自覚の強さというものは、
素晴らしい人徳の一つであり、窮地こそ人外の力を発揮できることがある一方で、それが長引いたりすると諸刃の剣になる危険性があるのです。
強いストレス
また、この責任感の強さに比例して、ストレスというものも大きくなるということも重要な事実でありましょう。
責任感が強いということは、ある物事に関する結果の良し悪しが、自分の名声や名誉、自尊心などに直結すると強く感じることですが、
それゆえ、結果が思わしくない方向に進めば進むほど、思い通りにならないことなどから強いストレスを感じてしまうようになります。
ただ、誤解してはならないのは、責任感の強さと、仕事の能力というのは、必ずしも綺麗に相関するわけではないということです。
むしろ程よい責任感の持ち主がベストで、心の半分は「なるようにしかならないよ」とケ・セラ・セラ精神を持ちつつも、合理的な範囲内で自分の仕事や役割をこなす、
という人が、もっとも優れた人で、こういう人を英邁と呼ぶのであります。
ストレスに強いタイプの性格として、ハーディネスというのが有名ですが、ハーディネスの人はまさしくこういうタイプの性格であると思われます。
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激務
激務がうつ病発症の大きな原因であることは間違いありません。
世のマスメディアが悲劇的に紹介する、労災に遭遇した不運な方は、皆「残業時間が200時間越え」だとか、全然休みがなかったとか、
本当は働いているのに休みにしてもらえなかったとか、とにかく働き過ぎ、激務という共通点があります。
そうして鬱になって、自ら命を絶ってしまうのですが、これは高橋まつりさんの例を出すまでも無く、枚挙にいとまがありません。
先崎氏のうつ病九段に立ち返ると、先崎氏は三浦九段の不正将棋ソフト問題の頃に、自分が監修した羽海野チカ先生の「3月のライオン」という将棋漫画の映画版の宣伝を各地で行なっていたと言います。
持ち前の責任感から、とにかくこの映画は成功させたいということで、来るものは拒まず、手当たり次第に取材依頼やイベント出席の依頼を受けていたそうです。
そうした日々を続けながらも、当然プロ棋士ですから、順位戦などの対極に参加していたといいます。
結局それが祟って、うつ病になり、本人はその責任感の強さから、将棋を休みたくないという気持ちが強かったものの、理解ある奥さんや、精神科医のお兄さんの説得もあり、
本格的な治療に入るわけであります。
この続きは「先崎九段の「うつ病九段」から学ぶ鬱病②症状としての死の願望と治療の可能性」で。