清原和博というダメ男から学ぶ、人生失敗しないために気をつけたいポイント

コアトルの書評

コアトルは過去にも、清原和博氏の破滅型人生から学ぶ人生における注意点 ダメ男の特徴についてで、実績がありながらも破滅してしまう、横山やすしタイプのダメ男がいかなる特徴を持っているかを考察し、

 

世の将来ある男女に対して警鐘を行いました。

 

今回清原氏が「告白」という本を出版し、その堕落人生の背景にある考え方や出来事について、改めて開陳してくれたことから、

 

これを参考に、清原和博という男を反面教師にして、人生を失敗しないための重要ポイントについて考えてみたいと思います。

思い込みが激しい

清原という甲子園のスーパースターが、人生で初めて味わった大きな挫折は、ご存知のようにドラフト会議の事件、いわゆるKKドラフト事件です。

 

幼い頃から巨人ファンで、巨人入団を熱望していた清原に対して、清原自身の証言によると、巨人のスカウトもまた、秋波を送っており、「君をドラフトで1位指名する」ということを仄めかしていたということです。

 

ところが、ドラフト会議の当日、巨人はPL学園の同級生で、当時早稲田大学への進学を希望していた桑田真澄を単独指名、桑田も大学進学を取りやめ、巨人入団を意思表示します。

これに怒ったのが清原。

◾️桑田は俺に「いやあ、俺(桑田)は大学に行ってから巨人に行くから、清原お前は先に巨人で待っててくれや」などと発言していたのに、人非人、ひとでなしのクズだ!

◾️巨人も俺にいい顔しながら、ずーっと桑田を指名する腹づもりだったとは、外道の極みだ!

 

しかしながら、よく振り返ると、巨人も、清原をおだてこそすれ、1位で指名するなどという確約はしておらず、

 

桑田は桑田で、立場上、「俺は実は巨人に指名される予定なんだ。キヨ、ごめんな」などと、仮にわかっていても言えるわけがありません。

 

そういう事実関係や、合理的背景をまるっきり捨象して、自分勝手な思い込みから被害妄想を大きくして、勝手に周囲を憎んでいるのです。

 

桑田や巨人からしたら、恨まれるのも迷惑な話でありましょう。

 

また、このエピソードを捉えて、清原はピュアだから、大人の世界の力学がわからなかったのだ、というような言い方をする人がいますが、

 

こういう言い草は清原本人には毒にはなれど薬にはなりません。

 

だいたい本当にピュアなら覚醒剤などに手を染めることなんかあるわけがないですし、単に自分勝手な思い込みで裏切られたなどとほざいている。

 

クラスや職場に稀にいるちょっと頭の弱いヒステリーちっくな人がいます。

 

「あの人は思い込みが激しいから」などと影でコソコソ言われるタイプの人、あなたの周りにもいたと思いますが、

 

清原はまさにそういうタイプの人で、関わると非常に危険な人物ですから、こういうタイプの人とはできるだけ関わらないようにするのが最良です。

人の忠告を聞かない

「思い込みが激しい」という性格から生じるのは、自己の信念に沿わなければ、いかに能力や地位のある人の意見であっても、全く聞き入れることがないという、傲岸不遜さです。

 

それを最も表すエピソードが、天才バッター落合からの助言を、全く受け入れなかったというエピソード。

 

落合は清原の才能を高く買っていましたが、プロ入り後の清原をはっきりと「野球が下手になった」と述べていました。

(以下はこの発言の元になったものではありませんが、若干20代前半の清原の将来を「無冠の帝王に終わるかもしれないぞ」などと的確に指摘しているのがわかります。)

この告白の中でも、清原ははっきりと、

 

プロ入団後1年目〜2年目は、巨人に入れなかった悔しさや、プロの世界の厳しさを肌で感じたことなどから、なぜ打てなかったかを分析し、現状に甘んじることなく練習をしていたので、成績が良かったが、

 

3年目以降からは、夜の遊びを覚えたので、あまり練習をしなくなったから成績も伸び悩んだ、とはっきりと述べています。

 

この頃、天才落合氏は、清原の現状を見抜いて、「練習をしないから下手になった。」、「デッドボールの避け方が下手。このままでは選手生命は短い。」などと、

 

口すっぱく言っていたのですが、結局遊び癖は治らず、極め付けは、本書の中で、

僕は昔からデッドボールを怖いと思ったことはないです。肉体改造を始めてからは、筋肉でボールをはじきかえすつもりでやっていましたから。避けられる球も何個もありましたけど、避けなかった。ー中略ーむしろ、当てられたら絶対に次の打席は踏み込んでいきました。攻めた結果の死球はなんとも思わない。そういう投手に対しては死球を受けた後に、「気にしないでほしい」ということを伝えてきました。

などと述べる始末。

 

変な意味ではありませんが、バカは死んでも治らない、と言う言葉を想起せずにはいられません。

理性でなく感情を優先する

大きな決断に際して、理性ではなく、感情を優先する人も、人生失敗リスクが高いでしょう。

 

清原の場合、フリーエージェント制度によって移籍する権利を得ましたが、あろうことか、移籍先として巨人を選びます。

 

この時阪神タイガースが、同じく清原の獲得交渉に臨んでいたのですが、阪神の契約条件は、契約金や年棒などを合わせると、巨人の倍以上という、

 

破格の条件を提示してくれていました。

 

むしろ巨人は、「君はそれほどの評価はしていない」というような態度で交渉に臨んでいたと言います。

 

まあ、これも清原お得意の思い込み、被害妄想かもしれませんが、それでもなお、清原は巨人を選んでしまいます。

 

本書では、「最終的には、お母さんに相談して決めた」などと言っている。また「人生で大きな決断は、母親に相談して決めてきた。」などと平気で言う。

 

マザコン男と結婚すると、嫁は不幸になる、と言うのは万代不易の真理ですが、清原もこの例に漏れないでしょう。

30歳を超えたいい大人が、母親の意見で進路を左右するなどと言うことは、ある意味では無責任ですし、そのようにしてなされた判断の結果は、

 

往往にしてよくない結果を招くのであります。

何でも人のせい

巨人に入ってからも、期待以上の成績を残せなかったことから、応援をボイコットされたり、契約年も終わりに近づいた頃には、球団関係者ではなく、

 

一般人となっていた長嶋一茂から、「来シーズンは契約しない。クビです。」と告げられるなど、屈辱ばかり味あわされてきた清原ですが、

 

その後は、仰木監督のはからいで、オリックスで有終の美を飾らせてもらいました。

 

通算ホームラン525本と言う、それでも十分すぎるほどの実績を残した清原ですが、引退後は、周囲の誘惑や、引退後の喪失感から薬に手を出したと、述べています。

しかし、驚愕のくだりがあります。

(薬を始めて以降を振り返って、、、)そこまでどっぷり浸かっていたわけではなかったので、薬を使っていない時は普通の状態だったと思いますし、決して家族にそう言うことで影響を与えてはいないと自分では思っていました。思い悩むのは一人になった時だけで、家族の前では父親として、普通にいたと思います。周りが言うような、僕が家族に危害を加えたとか、そう言うことは決してなかったと自分では思っています。ただ、それから生活はさらにどんどん荒れて、ずさんになって言って、家族との距離がでいるようになったのは事実です。その後、週刊誌に薬物疑惑という報道が出て、ある日、帰ったら、家がもぬけの殻だったんです。
僕にとっては突然のことで、しばらく誰もいない部屋で呆然としていました。離婚について話し合ったことも記憶にはなかったですし、なんでこんなことになったんだ、と、、、
あの時、自分の中で何かが決定的に狂ったような気がします。そこからは、子供を探しに学校に行ったり、子供のいた少年野球チームが使っていたグラウンドにも行ったり、なんどもなんども、そういうことをしたんですが、会うことはできませんでした。
それまでは薬をやっても、どんなに酒を飲んでも、家に戻ったら家族がいたわけです。それで少しでも闇の世界から引き戻される感じがあったんですけど、家族がいなくなってからは、ひとりぼっちの家に帰るっていうことがすごく怖くなって、僕は家に帰りたくなくなりました。
それでまたどんどん闇の世界に入って行きました。
振り返ってみると、家族を失ったことで僕は転げ落ちて行ったんだなと思います。

ちょっっw。

 

まず薬をやっているような旦那と、いつまでも一緒にいてくれる奥さんや子供がどこにおるんだと。

 

それで、「家族を失ったことで僕は転げ落ちて行ったんだなと思います」などと、まるで家族が出て行ったから逮捕されるような事態になったんだ、そうじゃなければ死ぬまでばれなかったんだとでも言いたいようです。

 

この文章の評価はこれ以上はしません。皆さんの良心によって、判断していただきたい。

まとめ

こういうわけで、まずはっきりと理解しないといけないのは、このような思考をもつ人物というのは、何も清原だけではなくて、世の中にたくさんいるということです。

 

多くの場合、どこかの事前で人生つまづく経験をするわけですが、深く関わってしまうととんでもない事態に巻き込まれてしまう可能性があると言う事を、十分理解しないといけません。

 

これは遺伝的な要素というよりは、育ってきた環境に寄るところが大きいので、教育環境や、その人の行動、思考を客観的に観察して、

 

「危ない!」と思ったら、さっと距離を取らなくてはいけません。

 

君子危うきに近寄らずという名言がありますが、これを実践していたのは、例えば同僚の松井秀喜であり、ライバルの桑田でしょう。

松井も桑田も、素晴らしい成績を残すだけではなく、引退後の生活も充実しています。

 

我々が目指すべきはこういう人であって、決して刹那的な快楽や喜びに誘惑されて、生活リズムや信念を曲げるようなことがあってはならないのです。