子育てにおける過保護には要注意 子供の人生を不幸する可能性もある

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コアトルの心理学探究

過保護、というのは正直いってイジメと同じ位、定義するのが難しいのではないかと思います。

 

子を思う気持ちが行き過ぎた結果としての過保護であれば、どのラインを超えれば過保護になるのか判定するのは至難の業だと言えます。

 

しかし、私自身、過保護に育てられた結果、その後遺症に苦しんでいる人間として、これだけは言わせて頂きたい。

 

過保護にはやはり、はっきり弊害がある、ということです。




我が子を過保護に教育する弊害発生にはラグがある

世の中の親達、またはこれから親になる方も含めて、これは是非肝に銘じて頂きたいのですが、過保護の弊害は長い年月を掛けて徐々に徐々に現れます。

 

ちょっと格好つけた言い方になってしまいますが、過保護に育てた結果子供が、

•アイデンティティの形成に失敗する
•良い子症候群になる
•厭世的になる
•抑うつ気質になる
•うつ病リスクもある
•統合失調症や人格障害になるという懸念もある

など、様々なリスクに晒されてしまいます。

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こういう風に言うと、まあ人格障害なんかは別にしても、あまりとりとめがなく、現実味が無いかもしれませんが、誤解を恐れずに言えば、一言で言えば、子供が幸せになれない、ということを意味するのです。

 

また、これも誤解しないで頂きたいが、幸せになれない、と言っているのは、良い大学に行けない、とか高収入の職につけないとか、そういうことを言っているのではありません。

 

話はもっと深刻でして、仮に良い大学に入って、良い会社に就職出来て、はたから見ると順風満帆に見えるような状況でさえ、本人は幸せを感じることが出来ないのです。

 

またまた格好つけた言い方になりますが、子供が自分のことを、ベルトコンベアーで運ばれて、ルール通りに形成された1つの物のように捉えてしまうため、自身の境遇に現実感がなく、意志薄弱で真に生きる事の喜びを感じる事が出来なくなってしまうのです。

なりたい自分がわからない

アドラー心理学的には、こういう過去の事象、つまり過保護であった自分を言い訳にして、本当になりたい自分へと踏み出す一歩を躊躇している、などと言われるのかもしれませんが、この「本当になりたい自分」というものが一体なんなのか、全く思考停止状態で考えも付かないのです。

 

少なくとも今、自分自身が幸せでないという認識はあるものの、どうすれば自分が幸せになれるのか検討も付きません。

過保護が不幸な子を生み出すメカニズム

ちょっと話が前後してしまいますが、過保護というものがどのような過程を経て不幸な子供を生むのでしょうか?

 

過保護というのはどういうものかもう少し具体的に言うと、

 

•子供の決定を促しながらも、自分(親)の意に添わない決定であった場合には、怒る、泣く等の対応により暗に翻意を促す

 

ということにつきます。

子の決定を促しながらも、というのがミソです。

 

これは一種の脅迫のようなもので、過保護、あるいは過干渉と言い換えても構いませんが、こういう状態におかれた子供は、極端に言えば毎日脅迫を受けて暮らしているようなものですから、常に怯え、恐怖し、親の顔色ばかりを伺うようになります。

 

実のところ、親の顔色を伺ってばかりいる、ということ自体は、実はそこまで悪いことでもないのです。

 

やはり親は正しい部分も多いですので、教育という意味では、特に幼年期においては非常に有効に働く場合もあるのですね。

ところがやっかいなのが思春期及び反抗期です。

この時期、子供は必ず親に反抗的になってしまいます。

 

つまり昔から親に脅迫され、親の顔色ばかりを伺い、親に従属することで平穏を得てきた子供が、突如相反する感情を持たざるを得なくなるのです。

 

この結果、精神的に極めて不安定になり、異様なストレスとなってしまうのです。

 

この時期を上手く乗り越えられない場合、自分の中に親への反抗心と服従心という相反する感情を、同時に持ったまま成人せざるを得ない。

 

これがいついつまでも心の中に住み着いて、情緒不安定さやその反動から来る抑うつ状態、さらには自我というものの確立を妨げる結果となるのです。

 

もう少し概念的に言うと、反抗心も服従心も、いずれも他者に関する感情です。

 

この他者に関する感情の比重が重くなり過ぎる結果、親以外の人の顔色を必要以上に伺い、必要も無いのに他人の評判をことさらに気にし、変に過剰な自意識が醸成され、卑屈で意見のないふにゃふにゃの人間が出来上がってしまう。

 

さて、ちょっと説明が長くなりすぎましたが、幸せ、というのは99%が主観的な感情ですね。

 

つまり自分がどうしたいか、自分がどうなりたいか、ということに大きく依存し、自己が満足出来る環境にあればそれは多くの場合幸せを享受していると言えるかと思いますが、過保護に育てられた結果、自己実現の目標が定まらないのです。

 

だから何をやっても空虚な感じがしてしまい、あるいは自分はひょっとしたらこういう風になりたいけど、でもあの人にはかなわないしな、、とか、あの人は自分がそうなったら悲しむだろうとか嫉妬するだろうとか、そういう取り越し苦労ばかりをして結局なにも踏み出せない。

 

勿論、過保護に育てられた子にも、刹那的に幸せを感じる瞬間は沢山あります。

 

しかしまさしく刹那的な物であって、直ぐに飽きたり、馬鹿にしたりして、結局持続する事が出来ません。

 

そうそう、飽きっぽい、というのも過保護に育てられた子供の特徴です。

 

それから五月雨式になるのですが、物事の順序というものに無関心、というのも特徴でしょう。

 

社会的ルールとしての順序、例えば、プロポーズをしてから両親に正式に紹介、会ってもらう方が良い、とか、同棲するならまずは相手の親に許可を貰いにいく、とか、そういったことに無頓着な傾向にあります。

 

これは何でもかんでもお膳立てをしてもらってきた結果で、しかも親の用意してくれたものに不満を述べれば直ぐに怒られ、または他のあらゆる手段で脅迫されますので、結局されるがまま、完全に自分の頭で考えることを諦め続けた結果と言えるでしょう。

もう一度言いますが過保護に育てないよう十分注意しましょう

あまりまとまりのない文章になってしまいましたが、過保護というものがいかに子を不幸にするか分かって頂ければ幸いです。

 

過保護の被害者が一番つらいのは、こういうことを言うと「親の愛情を何だと思ってるんだ。親はお前の為を思ってやってくれたんだ、感謝しろ。親不孝もたいがいにしろ。」等というレッテルを貼られてしまうことです。
毒親に当たった男の末路 何も自分で決められずマザコンの濡れ衣を背負う人生でも似たような事を書きましたが、こういう人がいるから過保護問題に中々日が当たらない。
(本エントリと同じ内容の記事として、上記の他に、美容院に行くのが異様に億劫な男性は「いい子症候群」 原因と傾向と対策などがあります。)
 

本当はもっと自分らしく生きる事で才能を発揮出来た人もいるかもしれないのに、都会の片隅で、または地方の街角で、過保護に苦しんだ子供達が幸せを掴めずにいる、そういう人が実は沢山いるのだということを知って頂けると幸いです。