結末が予想出来るのに長く続く作品は良作である ミナミの帝王と寅さん

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コアトルの放言

映画会での人気シリーズといえば、まず真っ先に「男はつらいよ」、次に「難波金融伝ミナミの帝王」が思い出されます。

「男はつらいよ」の場合、渥美清演じる車寅次郎が、ある時は旅行先で、ある時は実家とらやの周辺に現れる女性(マドンナ)に恋に落ちてしまう。

 

その女性には寅さんは絶対に硬派に接します。女性も寅さんの素朴な人柄に魅かれ、いつも後ちょっとで交際にまで発展するか!というところまで行くのですが、最後には結局振られてしまいます。



「ミナミの帝王」はこれとは全然毛色が違う物語です。

 

大阪のミナミで金融業を営む萬田銀次郎(こちらも〜次郎で終わるのは興味深い)は、十日で1割という法外な利子で金貸しをやっている。

 

そんな悪徳金貸しにも関わらず、約束を守り、時にはビジネスの知恵を貸してくれることなどから、債務者の信頼は厚く、固定客が多い。

 

その固定客や、あるいは新参の客が、ヤクザや悪徳ビジネスマンに大金を騙されてしまう。

 

その結果萬田銀次郎への借金を返済出来ずに夜逃げしてしまうが、結局銀次郎に見つかってしまう。

 

見つかった後、銀次郎にマグロ漁船に売られる、、、と思いきや、彼らを騙した奴らをハメて、彼らから借金を回収し、ヤクザや悪徳ビジネスマン達は苦虫をかんで引き下がっていく。。。。

 

「男はつらいよ」の場合も、「ミナミの帝王」の場合も、それぞれ95%以上が上で述べたようなストーリーラインで構成されていますので、見ていても最初から落ちが読めるのです完全に。

 

にもかかわらずシリーズを重ねる毎にファンを増やし、「男はつらいよ」は映画版で全49作(ギネスレコード)、「ミナミの帝王」の場合はVシネマを含んで60作品が作成されました(Vシネマ版の作品数を含むため、ミナミの帝王はギネスレコードではありません)。

 

これは何故なのでしょうか?

良質のコンテンツはオチに依存しない

男はつらいよが何故これほどのロングヒットになったか、等は色んな説明が可能です。

 

「Always 三丁目の夕日」がヒットしたように、昔懐かしい日本の風景に人々が憧憬を持ったため、渥美清演じる寅さんの人柄や演技そのものが素晴らしかったため、、、、

 

どれも正しいものなのでしょうが、確実に言えることは、オチがなんであるか、というのはコンテンツにとってそれ程重要ではないということです。

 

我々素人が何かストーリーを考える時は、どうしても大どんでん返しのオチを考えがちです。

 

しかしありふれたオチであっても、ストーリーの構成そのもの、つまり様式美のようなものに人々は魅かれるのではないかと思います。

 

ブログでも同じのような気がします。

 

ブログの人気度は、Googleの検索順位である程度推定が出来ますが、上位に表示されているブログというのは、専門的なジャンルであればあるほど、そのジャンルに特化したブログですが、個別の記事を見ると、正直言ってありふれた結論しか書いていません。

 

そのブログを読んで、「風邪の治し方が分かる」とか「鬱の治し方が分かる」とか、「効果的なストレス解消法が書いてある」というようなことは殆どなく、いずれもどこかのテレビ番組や雑誌等で見た事があるような結論ばかりです。

 

しかしPVは相当程度ある。

 

おそらく人は自己の考えを追認させてくれるような内容のものに魅かれる傾向があるように思われます。

 

奇抜さ、というのはそれ自体がコンテンツの魅力にはなり得ますが、長く人々に好かれるコンテンツというものは、奇抜さというよりも、型にはまった様式美を重要視したものが多いのだと思います。

 

男はつらいよは失恋の様式美、ミナミの帝王は勧善懲悪の様式美を完成させ、ロングセラーとなりました。

 

ブログ記事でも、ジャンルやネタに悩む前に、まずは自分の型を模索することから始めた方が良いのかもしれません。